近所の公園から聞こえる子どもたちの声が好き

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UnsplashRobert Collinsが撮影した写真
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この記事は以下のような人におすすめ!

  • 近所の公園にお子さんと遊びに行く親御さんや大人の方
  • 尊い職業である保育士さん、学童保育の先生の皆様

近所の公園の魅力

我が家の窓側に位置する公園は、夏場は水遊びもできる街中の公園です。
テニスコート2面強ほどの広さで、そんなに広くはないけれど、
午前中は、近所の保育園のちびっこたちが保育士さんとともに訪れて、
楽しそうに遊んでいます。
先生が何かお話をすると、自分の意見を元気に述べる子がいたりする。
大泣きする子がいれば、先生が声掛けをしている。
外で元気に遊ぶ。心と体を鍛える大切な習慣。
暑かったり寒かったりしても先生たちはほとんど毎日ここへ連れてきています。
途中の道も決して安全とは言えないだろうに。
本当に頭が下がります。

保育園の子達に混ざって、近所の子どもたちも親御さんやおばあちゃん、おじいちゃんなど
大人の方々と遊びに来ています。
大人が子どもを公園に連れて行くのは決して義務ではないですが、
皆さん、連れてきている。それが本当に尊く、素晴らしい。

昼下がりから夕方にかけて、幼稚園児や小学生が帰宅する時間ごろになると、
彼らがその公園に集まり始めます。
小学生は自分たちだけで自由に遊びます。

時折、リスが姿を現したりすると、「りーすー!」と大絶叫する小学生。
リスはびっくりして木の高いところに駆け上る。
子どもたちは「りーす、りーす、りすりす、りーすー」と大勢で叫び、
とても賑やかです。

付き合ってる大人がすばらしい

中にはベビーシッターやそれこそ保育士さんや学童保育の先生など
仕事で公園に来ている方もいるかもしれませんが、
ほとんどの保護者は当たり前だが無給で子どもと公園に来ています。
偉い。偉過ぎる。本当にありがとう。
子どもが公園に行きたい!と言ったのか、
晴れているし、公園でも連れて行ってあげようかと思ったか、
はたまた「掃除するから少し子どもと公園でも行ってきて」追い出されたか、
きっかけはいろいろだろうが、ちゃんと着替えて靴を履き、
安全に子どもと公園に着き、そこで一緒に遊んだり見守ったりしています。
その人間の尊い行いに涙が止まりません。

自分の育児時代を思い出す

私も子どもが小さい時、公園に子どもを連れて行きました。
「育児の百科」という名著を愛読していたので、松田先生に励まされ、
元気に育つよう、可能な限り外気に当てようとしたためです。
それでも当時、「公園デビュー」という新米ママをビビらせる言葉がありました。
公園に行ってもママたちの派閥があり、うまく入れないと自分ばかりか子どももハブられるという怖い話。
初めの頃はビビりながら公園に突入していましたが、
私が住んでいたエリアはラッキーなことに皆さん大らかな人たちが多く、
当時は珍しかった平日休みのパパさんも気楽にママの会話に参加してたりして、
ありがたいコミュニケーションの場がありました。

砂場や目が届く範囲で子どもたちを見守りながら、大人同士の些細な話ができるのが魅力です。
トイレトレーニングを焦っていたママさんが、
他のママたちは誰も焦ってない様子を見て、心底ホッとした様子だったのを思い出す。

また、近くに米軍住宅があったこともあり、ママは日本人でパパがアメリカ人という
家庭も少なくなかったが、お人形さんみたいにかわいいお嬢さんを連れた日本人ママさんが、
別の公園で「見た目で仲間に入れてもらえなかった」と涙ながらに、お話ししてくれたのもなつかしい。
話を聞くことしかできなかったが、その後も公園で子ども同士楽しそうに遊んでいました。

そうそう、当時25歳くらいで私と同い年のアイドルな見た目の可愛いママさんが
街中でおばあさんに「こんなに若いのに子どもなんか産んで!」と怒られたと、
激怒しながら私に話してくれたこともありました。
そうか、見た目が可愛いとそんな目に遭うこともあるのかと、老け顔の私はここでも学びました。

嫌なことももちろんありました。

ママたちと少し離れたところで、ひとりでぼーっと座っていた時、
近所の団地の少しお年を召した女性の方が隣に座ってきて、
いかに自分は子どもが嫌いかをとうとうと述べ始めました。
そうか、こういう人も近くに住んでいるのだなとこれも勉強になった出来事でした。
遠目から見ると普通に話をしているように見えたらしく、
あとで「いろんな人とおしゃべりできてすごいね」と向こう側にいたママに言われたが、
こんな内容だったと言ったら、とても驚いていました。

ただ、毎日子どもと外に行くのは思っている以上に大変です。
外は疲れるし、遊び相手が必ずいるかもわからない。
知り合いはいるかもしれないし、いないかもしれない。
子どもとの遊びも飽きる(自分が)。

しかし、雨などの悪天候でない限り、「今日も公園行かなきゃ」という気持ちでした。

だから、なおさら、子どもたちと一緒に公園にくる大人の方を尊敬するし、応援もする。
そして本当にありがとう、という気持ちになる。

育児は本当に大変なのだ

私は自分で子どもを産んで育ててみて、初めてヤンママを尊敬した。
当時、見た目がヤンキー風な若い子連れママ、または明らかに若い(ヤングな)ママをヤンママと呼ぶ風潮があった。
今はヤンママとか言わないのだろうか。
それこそ「若いのに子どもなんか産んで!」とか
「母親なのに茶髪にブーツなんか履いて!」とか、
世間の正しい母親像「面やつれして髪ボサボサ服装ダルダル」からかけ離れていて、
そんな母親像が正しいと思ってがんばった少し上世代の女性陣や
男尊女卑メンズが好んで使っていた蔑称だろうか。

私は自分が子どもを産むまであまり社会の中で赤ちゃんとそのママや、
妊婦さんという存在に気づかなかった。
興味もなかったのだ。
よく若い女性が小さい子を見て「かわいー」というような声を上げることも全くなかった。

私が若い時に子どもを授かったのは、きっと神様がそんな私にこそこの苦労を経験をさせねばと
「えいっ」と杖を振ったためと思っている。
実際、妊娠から出産、その後の育児と、今までの価値観がひっくり返る体験の連続だった。

ただこの経験がなければ、今公園から聞こえてくる声を聞いてもこんなに幸せな気分にはならなかったかもしれない。

私も20代前半で初めの子を産んだが、見た目が老けているのでヤンママと言われたことはない。

今、子育てがしにくいと言われているが、子育てって大変だけど面白いし、
子育てしたい人は全力で応援してるよってことを伝えたい。
電車でもお店でも、お子さん連れの方を見ると、何かあったら手を貸そう!と
思っているのは私だけではないはずだ。
ということを、今子育て中の人たちに知ってほしい。

ベビーカーを蹴られたとか、何か嫌なことを言われたとか、
今はSNSでもすぐ拡散するので、「子育て大変そうだから子ども産むのやめよかな」
って思ってしまう人もいるかもしれないけど、
素晴らしい体験もたくさんあるということをお伝えしたいです。

自分の気を引き締める

元気に遊ぶ子どもたちの声をたくさん聞き、寄り添う大人をたくさん見て、
自分も、この子どもたち、若い親御さんたちのために、まだあと数十年、
死ぬまでの時間にできることはなんだろうかと考える。
この平和がずっと続くために、自分にできることとは。
この子たちが今のように純粋に伸び伸びと生きていくために何ができるだろうか。
親御さんたちが安心して子育てや自分の仕事を存分にできるために、
ジジババができることはなんだろうか。
政治家は1週間に1時間でも、新宿御苑ではなくローカルな地域の公園を訪れて見るがいい。

まとめ

子どもたちの声を聞いていると「平和」「希望」「未来」という明るい気持ちに満たされます。
本当に健やかに育ってほしいと願ってやみません。
そして、それを支える大人の方々もまた、心身ともに健康で幸せな思いをしていてほしいと思う。
そして、こんなふうに子どもたちの姿や声に癒されている人はきっと私だけではないということを、
現役の育児世代の方々にお伝えしたいと思いました。
本当にありがとうございます。

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